京都市 上京区
日頃は
不動産ネタばかり書いておりますが
本日は不動産ではありません。
雑記です。
いつもの通り道
どうしても
気になるお店ってあるもんです。
・・・・・
いつもの通り道に
何年前だろうか、
そこに自転車屋さんらしき
お店ができたのは。
看板がない。
お店の前に
自転車が無造作においてあるのだが
値札が貼っていない。
自転車修理屋っぽい
雰囲気なのだが
商売感が感じられない。
その空間
たたずまい。
誰かの
趣味のスペースなのか?
たまに夜、
客か、自転車好きな人々か?
よくわからないが
人々が集まったりしている光景を
見かけたり。
お店の前で
自転車を
いじってたり。
そして
いつの日か
私は
こう結論づけていた。
自転車好きな仲間が集まって
お金を出し合って
このスペースを借りているに違いないと。
自転車好きな人の
たまり場に違いない。
だから
商売っ気がないのだ。
そうだ。
と、
そう結論付け
何年が過ぎたのだろうか。
いつもの
堀川東通り。
夕方。
私は歩いていた。
図書館から
歩いて自宅に帰ろうとしていた。
まだ
残暑の残る9月初旬。
全身から
汗が滴り落ちていた。
曇った空からは
時折、
雨がぱらついていた。
私は
自分の無能さに
嫌気がさしていた。
大好きな図書館に出かけようと、
バスに乗り出かけたものの
バスを降りた所で
図書カードを忘れてるのに気づいた。
そして取りに帰るも
さらに図書カードを忘れるという
あり得ない奇跡を
起こしていたのだ。
2度目の敗北。
丸太町のバス停で
2度立ち尽くした私。
別に図書カードが無くとも
本は読めるのだが
借りる事はできない。
借りれない本など
本ではない。
私は
敗北感を背負い
コンビニに立ち寄り
『黒ラベル』を買った。
黒ラベルを買うことは
人生で2回目ぐらいなのだが
今日はどうしても
この星に
惹かれてしまった。
黒星か金星か。
そして、
いつもの
いつもの
自転車屋の前を通る。
通り過ぎようとしたのだが
自転車なんて全く興味が無い
にも関わらず
私は
そのお店に入っていた。
『この、自転車売り物ですか?』
中で佇む1人の男に
声をかけた。
ここは何屋なのか?
自転車に何故値札が貼っていないのか?
看板が何故無いのか?
あなたは何者なのか?
私は
ここ何年もの疑念を晴らすべく
立て続けに質問し続けた。
男は
1枚の名刺を私に渡した。
空井戸サイクル
雨森無我
空(カラ)の井戸、
水が枯渇した井戸。
四文字熟語か、
『森羅万象に多情多恨あれ』
みたいなマキシムか、
芸名のような名前。
本名だと言う。
私は
40数年間生きてきて
人生において
一つの法則を見つけていた。
名前はその人の人生を表す。
人はその名前の通りの人生を歩む。
空(カラ)の井戸
雨の森
我が無い。
目の前に様々な
ビジュアルが
ふっと浮かび
すーっと消えていった。
禅問答のような
謎掛けを与えられた気がした。
まだ
何か聞かなければならない事は
山のようにあったが、
どこから
どうしていいのか
わからなくなっていた。
タイムカードを押す音が聞こえた。
ため息が聞こえた。
俺は悪く無いという声が聞こえた。
苦虫を噛み潰した誰かの顔があった。
こんなはずじゃなかったと呟く
横顔があった。
気づいたら
誰かの人生を生きていた。
ふと
見上げると
看板が小さくあった。
小さな看板が
もう1つあった。
外に出ようとすると
雨が降り出した。
だが
直ぐやんだ。
東堀川の
鉛色の空を見上げながら
帰る。
空(カラ)の井戸
雨の森
我が無い。
鉛色の空の切れ目の
わずかな青色から
干上がった井戸に
雨が一粒落ちていく。
一瞬、
井戸の底に
微かな光が射したような
気がした。
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